2012/09/04

否定の文化

社会人としての経験を積めば積むほどに、思うことがある。それは、ああ、この国は否定の文化なんだなあ、という事。何らかの議論でも会議でも、雑談でも話し合いでも、とにかく相手の話や提案を否定する、特に重要度が増すほどに、この傾向があるように思う。

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2011/07/06

「反対!」

「反対!」って、何に? まあ聞いてくださいな、今の日本を席巻する「反対」文化の一例です。例えば・・・、

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2010/03/07

マークⅡ?

つい最近まであったトヨタの車種にマークⅡがあった事は皆さん覚えておられるだろう。マークⅡとは「その2」だから車名としては実に変だ。その2じゃ分からん。最初はコロナと言う車のマークⅡだったのが、いつの間にかコロナが取れたのかもしれないがコロナはそのまま存続していたから、そう考えると益々ヘンな車名だったのだ。

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2010/03/05

甘い国の支配者

昔々のかなりの昔に朝日新聞のたぶんニューヨーク支局長だったか、そういう方が書いた「甘い国から来た男」という本があって、日本には競争が無くて、一度地位を築くと後は一生安泰、といったような事が書かれていた。

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2007/07/23

日本の危機管理

アフガニスタンの旧支配勢力タリバンが、医療ボランティア活動に携わるキリスト教徒の韓国人23人を拉致し、殺害を警告した事件で、韓国政府は苦渋の判断を迫られている。これが日本政府であったなら、はたしてどうだろうか。

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2006/11/14

イジメは日本の文化?

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■イジメを理由にイジメ?

イジメで、いじめられた子供が自殺し、マスコミに責任を問われた校長も自殺している。この構図はヘンだ。結局大人達は、イジメはダメよと言いながら、子供達の前でイジメを展開してるんだから、これじゃイジメはなくならない。

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2006/02/17

「格差社会」で何が悪い

「勝ち組・負け組み」即ち「格差社会」の是非について考えてみたい。格差とは努力なり勝負した結果だから、私は格差はあってしかるべきだと思う。競争や努力すれば結果に差がつくのは当たり前、格差の付かない社会なんてジョーダンじゃない。

オリンピックだって参加に意義があるだけじゃ面白くない。幼稚園の運動会じゃあるまいし、メダルがあってこそ面白いのだ。だから自由競争を否定されてしまうと、話がかみ合わない。そして、どうも世の中、「格差」と「差別」が混同されているようだ。無論「差別」はイケナイ。 

で、終わりでは面白くないから、暇人向けにちょいと屁理屈を・・・

最近よく「勝ち組・負け組み」「格差社会」なる言葉が目立つ。格差が開いた社会は好ましくないと言うのが大方の意見のようだ。ここで、前提となる「格差」の定義を設定しておこう。ここで言う格差とは「結果」のことだ。勉強なり仕事なり人は何か目的を持って生きている。その目的に対する行動(努力)の結果を、社会が評価し格差が生じる事を言う。だから行動(努力)する機会の「格差」ではない。

余談だが、目的無く生きる人もいると言われるかもしれないが、それはアナタの勝手な主観であって、本人はそう思っていないかもしれないし、単に気付いてないだけかもしれない。メシを食いクソをするだけの人生でも、生きる目的なのだ。問題は他人が、それをどう評価するか、なのです。

次に論点は、この前提で、「格差社会」をどう評価するかだ。前提を御理解いただけるなら、いうまでも無く結果の「格差」は当たり前と気付くだろう。イチローや松井が稼ぐのは、努力した結果であって、生まれつきではないのだ。

それを格差はイカンと言い出したら、国民のモチベーションがガタンと下がるだろう。ところが、日本の世論はこの結果の格差をケシカランと言っているのだ。だから(たぶん)イチローも松井も外国に逃げ出してしまうのだ。

彼らは世界に通用するから、努力が国内で認められなければ、海外へ脱出できる。しかし、我々庶民はそうは行かない。がんばっても報われないなら、待ち組みを決め込むことになる。結果として日本人全体の活力が失われるだろう。

だから、競争せよ!! 挑戦せよ!!と言いたい。

競争してこその進歩であり、挑戦してこその成功ではないか。少なくとも今の日本では失敗しても生きていける。路頭に迷っても生活保護があるし、最悪レゲエのヲジサンになったところで凍死したりはしないし、住民登録だって出来ちゃうのだから。

これが、極寒のロシアや北朝鮮なら、あなたタイヘンですよ。命が死んでしまう可能性大ですからね。そこへいくとニッポンはいくらでもチャレンジできるのだから、待ち組みで他人の足を引っ張るより、思いっきりチャレンジした方が人生楽しかろうというものです。

棺おけに片足突っ込んで、自分の人生振り返って見たとき、一生待ち組みで平穏無事だったなら、単に死ななかっただけ。そんな人生なら、植物人間で一生夢を見ていたのと変わらない。というか、むしろ植物人間の方が楽しいンじゃなかろうか。なーんて思うが皆さんは、いかがか?

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2006/01/13

鰯の大群は何故動く(2)

【鰯の大群はどう動く】

annpo-5 鰯の大群はどう動くか、例えばある日突然に、アナタをマスコミが血祭りに上げるとする。そうだな、埴輪事件とでもしよう。埴輪?何だそりゃ?などと思うなかれ、それは正常な状態での疑問なのだ。要は何だって良い、何かの事件の犯人であるとアナタがでっち上げられたとしよう。

当然アナタは、何が埴輪事件だ、バカバカシイと主張するだろう。ところが連日「遂に埴輪事件の黒幕が明らかに!○○」(○○にはアナタの名が入る)の記事が出、そのうちには「驚くべき○○の正体、連日歌舞伎町で豪遊」「○○は女好き、私も口説かれたと証言続出」「連日派手なスポーツカーを乗り回し・・・」などと報道されると、もうアウト、アナタはもう立派な犯罪人だ。

「歌舞伎町には2次会で行ったことある程度デス、そりゃボクだって男ですから女の子ぐらい口説いたことありますよ、確かにスポーツカー持ってますが中古の軽です」なんて言ったって、マスコミは取り上げないだろう。「それ見ろ事実じゃないか、言い訳をするなんて見苦しい」と逆襲されるのがオチ。

終いには、同級生とやらがTVで顔と音声を変え、「いつかこういう事件を起こすと思ってました~」とか言出だし、こうしてアナタは埴輪事件の主犯か黒幕として血祭りに上げられる。埴輪事件が何であるかなんて実はどうでもよくて、要は人々のやっかみ・妬みの材料になればよいのである。

ンなアホなと思う無かれ。日本社会では事実を事実として伝え、認識する習慣が無いのだ。実際、日常生活やマスコミの報道では、客観的に事実が伝えられる事は少なく、その表現に必ず主観的判断が入っている。

例えば、同じ会社の同僚2人に関して、①「Aさんは、郊外の戸建住宅に住んで、スポーツカーとベンツを1台ずつ、2台も持っているが、Bさんはアパート暮らしで、車すら持っていない」②「Aさんは土地の安い田舎にしか家を建てられなくて、なんとか軽自動車2台で暮らしてはいる。それなのに、Bさんは都心に暮らし、便利なので車も不要だ」と証言があったとしよう。

①と②の受ける印象はだいぶ違っていて、Aさんの車は中古の軽スポーツとスマートなのだが①ではAさんが派手で、Bさんが地味、②はその逆の印象を受ける。しかし言っている事実は同じで、話し手の主観が事実を修飾しているだけ、話し手がどう思おうと勝手だからウソではない。

Aさんが悪なら①の言い方、Bさんが悪なら②の言い方になり、こうして極悪人はつくり上げられていく。最初は事実の解釈から始まるが、そのうちに極悪人の評価が定着すると、「そう言えば・・・・」から始まり、ある事ないこと悪口のオンパレード、よほどの力がないと、あなたは社会から抹殺されてしまうだろう。

もっと恐ろしいことは、実はよほどの力があっても防げないことだ。最近の実例を挙げれば、コクドの堤会長がその例だろう。一連のコクド関連の事件では、彼が極悪非道のように取り上げられ、クサイ飯を食った挙句、組織解体の危機にまで追い込まれた。

連日の報道を見ても、今ひとつ釈然とせず、立小便をしたら逮捕されたような違和感がつきまとう。確かに証券取引法違反だが、インサイダー取引のように一般に認識された犯罪だろうか。日本はそこまで法に厳格で正義を通す国だったのだろうか?だったら何故談合が日常化しているのだろうか?談合摘発なんて、相変わらずヘソが茶を沸かすような猿芝居ではないか。

はたして具体的にどのような被害があり、何がいけなかったのだろうか。この事件では(も)、そこを具体的に言える人には出会ったことが無い。肝心の事件の内容よりも「堤会長=オイシイ思いをした人=極悪人」のイメージばかりが先行し、人々は怒りの理由をよく認識しないまま、「オイシイ思いをした」個人に「違法行為だ」と怒りをぶつけているのだ。

【鰯の大群を動かすキーワード】

こう考えてくると、ニホンジンを動かすキーワードの一つは、「やっかみ」だろう。また、これと対を成すのがカリスマ性で、この二つをセットで使うと日本を支配できるようだ。カリスマは、自分達とは最初から別格なのでやっかみの対象にはならず、求心性が生まれるからだ。

カリスマの最たるものは「神」だ。だから日本を統治できるのは神=天皇という図式が生まれた、というか創られた。物凄いメソッドだ。実際、この国で人々のやっかみの対象にならないのは天皇陛下だけではないだろうか。

「やっかみ」をチョイト刺激すると、鰯の大群のように一斉に向きを変える。だから日本を混乱させるのにミサイルは不要だ。荒唐無稽な話だが、カリスマ性の高い小泉首相が反米色を強めたなら、ワケの分からないスキャンダルが続出し政権はたちまち転覆するだろう。私がCIAなら、いとも簡単にやってのける自信がある。実際、アメリカはいつでも日本をひっくり返す自信があるのではないだろうか。

これも荒唐無稽な話だが、実際にそのような「社会実験」が少なからず行われデータとノウハウが蓄積されているのではないかとさえ思えるのだ。アナタの周りの安保闘争が青春だったとのたまう中年オヤジに、安保条約って何、何がいけなかったのと聞いて見るが良い。命賭けの闘争だったはずなのに、答えられないという驚愕すべき事実に愕然とするだろう。正に鰯の大群よろしく全体の意思はあるものの、個には意思がないのだ。

この他、ロッキード事件や豊田商事、オウム事件など、一定の周期で社会を動転させるような、それでいて完全転覆するまでは行かない事件が起こっている。その特徴は、①一斉に誰かをバッシングし、ソレが事実になる、②何らかの形で中心人物が死に、③事件追求の根拠や真相は闇に包まれ民族ヒステリー状態のまま、である。

そう考えると、日本人(社会)のコントロールを研究する者(組織)がいて、70年までは研究データを蓄積し、以後定期的に社会実験で日本を集団ヒステリーに落としいれているなどと思えないこともない。もしそうなら、次のターゲットは憲法改正だろう。

とは言うものの、闇の力が憲法改正を是とするか否とするかは、実はどうでもよい。どっちに転ぼうと、制度としては民主主義だから日本が暴走しそうになれば、鰯の大群はどうにでもコントロールできるからだ。この場合のコントロールとは「求心性」を破壊することであり、いとも簡単な事は既に皆さん自身、感じていることだろう。

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2005/12/09

世界一優秀な民族

ikari このブログのテーマである「日本人の悪口」に反して、実は日本人は世界一優秀な民族だと思う。優秀過ぎるから、優秀な人間がうじゃうじゃいて、自分が優秀だと思っているから、特に優秀な 人間に驚きもしなければ認めもしないで、足の引っ張り合いに陥るのかもしれない。島国根性を好意的に見るとこういうことかなとも思う。(何処が好意的なんだ?)

で、何をもって優秀かと言うと、総じてと言っておこう。人に得て不得手があるように、評価は様々だけど、とにかく器用。この器用と言うのは手先のことではなくて、物真似上手で、何でも直ぐマスターしてしまうことなのだ。

これは、科学技術に限らず、努力ではどうにもならない本来才能で決まるはずの芸術分野でもそうだ。例えば、30年前の日本の音楽シーンにおける技術水準は、相当に低かった。いや、ホント。楽器か演奏できるだけでプロと称し、音符が読め多少の音感があるだけで作曲家を名乗ったりできた。だから、当時の映画やドラマでは、ほとんどまともなBGMが無い。アメリカのTVドラマでは各シーンにオリジナルのBGMが入っていたけれど、日本のドラマでは既存の音楽を取ってつけたように流していてチープそのものだった。

ソレが今や、当時であれば超一流クラスの演奏者はうじゃうじゃいるし、TVドラマでは、明らかにオリジナルに作曲し、独自に演奏したものを惜しげもなく流している。身近なところでは昨日もロータリーの忘年会に、聞いたことも無い奏者たちが来ていたが、レフト・アローンなんか鳥肌が立つほどウマイし、プッチーニを披露したオバサンは超絶の声量と美声でオッタマゲタ。たった30年で民族が替わったのかと思うくらいの進歩なのだ。

要するにだから、特別な天才はいないが、何をやってもそつなくこなす、平均値を取れば際立って優秀な民族と言えよう。ところが、この優秀な民族は性格が悪い。全部ではないが一部に、際立って根性の悪い人たちがいて、大多数が付和雷同型。で、この両者が「嫉妬」で一体となって見た目の世論を形成するが、実態は、少数派の悪い根性の人々が牛耳っているということを、このブログのスタート(4月)で書いた。

ここのところ話題となっている姉歯問題などはその典型で、日本中がヒステリーを起し、心ある人がいくら冷静に考え、訴えても、嫉妬に狂ってしまった人々は、完全に思考を停止し、そこに付け込んだマスコミや議員などの人気商売(敢て政治家とは言うまい)がこれを煽り立てている。

で、不思議なことは、では誰がこういった風潮をコントロールしているのかだ、この異常さは、誰かが火をつけ煽ったからなのは状況から見れば明らかなんだけれども、どうもハッキリしない。で、それを考えていくと日本人に普遍的に共通する「やっかみ」が源なんだろうと思っちゃうわけ。

だって、そうでしょう。国会議員や評論家が堂々と、安いからには問題が有るみたいなことを平然と言うんだから。責任追及の論理としては何の根拠にもならないが、嫉妬心を煽って人を陥れるためには有効な手段ではある、こういう発言がまかり通るという事は、大多数の同意が得られることが、極自然現象のような当たり前のこととして予測できるから、言うんだろう。ひょっとしたら、いやタブン、当人達は無意識かも。オソロシヤだ。

TVタックルで、三宅ナントカという評論家が、あんな安いもの、おかしいと思わなかったのか、そんな被害者を救済するのに国の金使うのは反対だと、放言していたが、ナントモハヤ、個々の物件の品質に国が関与し、お墨付きを与えた事と、天災や詐欺等の単なる被害を区別せず、「救済」という言葉だけに反応してはばからない点がスゲー。

もっとスゲーのは、「安い」ものを買ったことに責任があると言い切ってしまうことだ。デベロッパーが「破格のお値段」とか「格安物件」と言って売り出したら逮捕されなきゃならんナ。

何にしても、こういう事がまかり通るのは事実なんだから、このあたりを学問として「日本人学」とかナンとか研究したら、いとも簡単に日本を支配できるかもしれない。おおっそうだ、いや、待てよ既に誰かやってるのかな?なんて妄想膨らませても仕方ないか。

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2005/11/12

団塊世代の罪

ampo 私は団塊世代の端っこにいます。丁度高校・大学のころ、安保闘争が盛んでしたね。この団塊世代から完全に外れた40代や30代の皆さんは、彼らをどう見ているだろうか。安保闘争を例にとれば、随分と情熱的な世代と見る向きが多いように思う。

チッ・チッ・チ!甘いね。よくあの頃、俺たちは純粋だったなあ、などと酒場でマターリと話すオヤジや上司に聞いてみて欲しい。あなたたちが命がけで戦った安保条約って何ですか?何がいけなくてどうすべきだったんですか?と。

驚くべきことに、ほとんどが安保条約自体を知らないし、当然に自分たちが具体的に何に反対していたか言える者はほとんどいないのだ。そもそも本当に安保反対ならば、70年以降何故闘争がなくなったのか、無くなる理由は何一つ無い。

なんという欺瞞だろうかと思う。別に団塊の世代全てが安保闘争していたわけじゃないけれど、これは一つの象徴なのです。つまり団塊の世代にはこれと言った思想信条も無く、ただただ正体不明のマスコミや世評に乗っかり付和雷同して鰯の大群のように動いてきたように思う。

だから傍目に見れば、ものすごいエネルギーで波乱万丈に見えるけれども、その内容を個々じっくり見ると、批判はするけれど、提案は出来ない、誰かが成功すれば直ぐ真似をする。どうです、あなたの上司や職場の長として君臨する団塊の世代って、こういうタイプではありませんか?

勿論1例をもって全体を議論できないけれど、概ね外れてはいないと思う。彼ら団塊の世代は「批判世代」と言い換えても良いでしょう。親世代が戦後のニッポンを食うや食わずで、ジャパン・アズ・ナンバーワンとまで復興・発展させ、その恩恵で豊かな生活を送りながら、オー・モーレツとかカブシキガイシャ・ニッポンなどと揶揄し競争を否定してきたのだ。

しかし、否定した先に何かビジョンとか具体的代案があるかといえば、何も無い。単に駄々をこねているだけだ。もっともコレは団塊世代に限らず今の日本全体を支配する風潮だけれど、特にそうした風潮を創ったのが団塊世代だと思う。

このどうしようもない世代を創ったのは、マスコミだが、コレをたどり言い出すときりが無いのでまた別の機会に。で、実際どうしようもない世代は、日本の歴史上破壊と消費だけの全く無意味な存在とさえ、言いきってしまおう。

では、このどうしようもない世代からバトンタッチされるポスト団塊世代はどうすべきかだが、人の話をよく聞き、後輩に道を示し前向きにがんばって欲しい、と言いたい。後はキミたちに任せた。で、それが出来ないなら、頼むから道を空けて欲しい。

イギリス特殊部隊SASの隊舎には、「先頭を行くか続け、さもなくば退いて道を空けろ」と掲げてあるそうな。ポスト団塊、頼むぞー。(何と言う無責任、そう私は団塊の端くれなんです。)

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