議論の最低基準
今日はちょっとメンドクサイお話をしよう。お互い意見を言いあい、説得したり納得することを議論と定義すると、その議論の仕方の最低限度のルールについてのお話だ。もっと言うと議論の仕方の国際標準のお話。
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サンタさんなる方からコメントをいただいた。一部引用すると、
「 何かに対して批判する場合、目的が改善にある場合、おっしゃるとおり指標を提示することになりますが、目的が罵倒、挑発にある場合行動そのものが不条理なので、逆に指標をぼやかすことが「普通」かと思います。そして、最近の批判は後者で行われることが多いかと思います。(良い悪いは別ですが)」
うーん、ナルホドと思った。私はこのブログでニホンジンの悪口を言っているが、出来るだけ論理的に必ずアーギュメントの形式で言っているつもりだ。勿論罵倒が目的では無く、日本民族の優秀性を鼓舞するためなのは言うまでも無い。
ニホンジンの非論理性を批判するとき、当然に、その非論理性を論理的に指摘していたつもりなのだが、この行為自体が既に自己矛盾だったとは気付かなかった、理屈の通らん相手に理屈を言っていたのだ。目から鱗です。そう考えてハタと気が付いたのが、この一連の耐震構造計算書偽造事件は、もともと誰も改善などを考えていなくて、罵倒・挑発を目的に考えていたのだということ。
そう考えれば、ン・ナルホドと理解しやすい。「安かろう悪かろうが動機と言いながら何故具体的な安さを誰も検証しないのか」「検証すればウソかホントか直ぐ分かる事を何故検証しないのか」「過失を責めておきながら、何故過失の内容を具体的に指摘しないのか」等々、ズーッと、疑問に思っていたことも、元々目的が罵倒・挑発なら説明がつく。要は何だって良いのだ。アホクサ。
とまあ謎が解けたのだけれども、そんな不条理がマスコミ・政治始め、日本社会を席巻していて誰も何とも思わないとすれば、巻き込まれたらなすすべが無いということか、実際、被害者である住民がバッシングされているしなあ、などと思ってしまう。
「今そこにある危機」という映画があったが、日本は理不尽さにおいて、世界一ヤバイ国かもしれない。ある日突然罪人にされたり、公開リンチされたりする危険があって、フツーの法治国家なら考えられないけど、そういう危険の中で我々は暮らしているのだ。地震なら逃げられるが、コイツからは逃げられない、巻き込まれたらアウトだ。
「科学的」の定義に反証可能性がある。簡単に言えば化学的とは反証できる余地があること、反証できないものは非科学的という考え方だ。例えば「明日は雨が降るか降らないかのどちらかだろう」という仮説は反証することができないのでペケ。
で、日本の社会ではこういう反証できないことが実に多い。「責任を感じるなら黙ってろ」とか「弁解するとは全然反省がない証拠」では、どうにも反証できない。そういえば、何世紀も前のヨーロッパ魔女狩り裁判で、袋詰めした被告を井戸に沈め、浮いてきたら魔女だとして火あぶりにしたとか。21世紀の日本、未だやってることはたいして変わらんか。
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一連の姉歯事件だが、相変わらず本質を外した「鶏を指して犬を罵る」話ばかりで、アホらしくなってくる。例えば「姉歯のインチキ構造設計はコストダウン圧力のせい」とされているが、具体的にどれくらいコストダウンになったか一切論じられないまま、今に至っている。
これってスゲーって思いません?だってアナタ、何か批判するとき、フツー指標があって批判するでしょ。例えばアイツはバカだといえば、自分より成績が悪いとか、平均点以下とか、なんかあるでしょう?なのに、そういう具体的事実が一切不明で日本中が騒いでいる。ダイジョウブカ・ニッポンジン。
強度偽装でいくら躯体工事費がコストダウンされ、ソレが全体事業費の何パーセントコストダウンに繋がったのか、実際検証してみたら「えっ、その程度?」であったら、今まで世間が大騒ぎしていた根拠が消えてしまう。或いは「やっぱりなあ」となるかも知れない、何故肝心なことを明らかにしないのだろう。
「安物買い」説も同じ。恐れていた被害者バッシングが起こりつつあり、安いことに疑問を持つべきだったと非難されるが、それは同じレベルの比較論であって絶対金額ではないはず。問題物件は広告や営業経費を抑え、集会場や内装・間取りを省略したり、土地が安いとか、そういう理由で安いとの説明。
つまり、見た目や広さはクラウンですが、実はタクシーですと。これでどれくらいコストが安くなるのか、明らかにその限度を越えていたなら確かに怪しいが、そこを明らかにしないで買主を批判するのは見当違いもいいとこだろう。
或いは、今ラジオから姉歯証人喚問が放送されているが、「・・・についてどう思うか」ばかりを聞いている。客観的事実を聞けよ、だ。姉歯がトンデモナイ嘘つきなことは客観的事実、その「嘘つき」に「思うこと」を聞いていては、「不確か」の2乗ではないか。バッカじゃねーの。
修学旅行の代休中の高2の息子が「とうちゃん、国会議員てスゲー、バカじゃないか。関係ないことばっかり聞いてるよ」と私の事務所に電話してきた。Oh I think soこれについては、また明日。
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チトくどいが、ヒューザー・バッシングから見えることを言っておきたい。
【罪と義務の混同】
やってはいけないことをやったり、やらなければいけないこと、つまり義務を果たさないのが罪であって、義務は罪ではない。そも、この事件は、この【義務】と【罪】を混同し、犯人探しに夢中になって、【対処の優先順位】を誰も考えないところに問題があるのだ。
ヒューザーを例にとれば、今の所、瑕疵担保義務を果たすと言っており、計算書偽造への故意・過失の証拠が無いから、何を根拠に罪を問われ、攻撃されているのか分からないのだ。その根拠は、「ヤツに違いない」と言う思い込みが全てではないだろうか。
その思い込みを除いたとき、何一つ根拠が無いことに気付くはずである。別に、小生、ヒューザーをシロと言っているのではない、黒と断定できないと言っているだけで、結論に至るロジックを問題にしている。だから、ヒューザーが、クロでもシロでも、どうでも良い。
国民の関心は、被害者の救済でも、原因究明や再発防止でもなく、ひたすら誰を犯人とするかであり、その根拠は、実際の犯行よりも「どれだけ得をしたか」ではないだろうか。だから「得をしたヤツが悪い」→「儲けているのは売主」→「一番売っているヒューザーが悪い」となるのだ。
【やっかみが人心を狂わせる】
こんなだから、今回の騒動ではプライオリティが問題解決よりも犯人探しにあって、11/27エントリーで述べたように、人命第一と言いながら、実際には被害者や周辺住民への対応が後回しなのだ。そして、この根底にあるのは、「やっかみ」だろう。
被害者に対して、人々は内心、「格安」という「利益」にやっかみ、安物買いの銭失いという「罰」を期待し、「あんな格安マンション、おかしいに決まっている、そら見たことか」と、詐欺商法の被害者と同じ見方をしていまいか。
だから、今のところ被害者への非難は出ていないが、やがて救済されようものなら、被害者への風当たりは強くなり、少なくとも同情はされないだろう。
【民族ヒステリーの恐ろしさ】
これほどの大事件にも関わらず、どこまで行っても、事の本質や対処のプライオリティーよりも、「やっかみ」を満足させるための「リンチ」が大衆の最大関心事なのだ。だから、誰も論理的に推論したりしないで、「(こんな悪いヤツなのに)すげー儲けて、いい家に住んで、態度がデカイ。(ケシカラン、とっちめよう)」となってしまうのだ。
皆が一斉に同じ方向を向いて、それと違うものは排除してしまい、思考停止状態。冷静に考えようと言うだけで、「何、コイツおかしいんじゃないか」となってしまう。完全な民族ヒステリーだ
結局、先の大戦に突入していった状態と同じなのだ。敗戦を迎え、あの戦争は何だったんだろうと振り返ったとき、何故開戦したか、誰も明確に答えられないと言う。
確信があるわけではないが、この民族ヒステリーの要因は、根底に島国根性があり、そこから統一概念として「結果平等主義」、「秩序第一」が生まれ、「集団」となって、それを支える人々の行動原理は「やっかみ」や「憎しみ」が支配し、その裏返しに「特権」への憧れがあるのではないかと思う。
一度、民族ヒステリーが起こると、もうどうにも止まらない。一見、この事件と無関係に見えるが、団塊の世代が演じた、安保反対もこれに通じる。先の福知山線脱線事故でも同じだった。
1億からの民がいて、一斉に歯を剥き出し、事の真理などより憎しみややっかみが感情を支配して誰かを槍玉に挙げる。60年前は鬼畜米英、30年前は政府と安保条約、今は得をしてそうなヤツを槍玉に挙げる。懲りないというか、精神的には全く進歩しない民族なのだ。
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日本人のダブルスタンダード、ご都合主義は、既に何度か述べました。この摩訶不思議な現象は、山本七平著「空気の研究」に詳しいが、読んで尚分かりにくい点もあります。そこで、今日は分かりやすく日本のタブーについて書きましょう。そこから日本を支配する空気が見えてくると思うのです。
タブーその1:天皇の位置付けと責任
右翼は天皇陛下を絶対視します。山本七平言うところの、相対或いは対立する概念不在の、絶対的臨在観です。絶対的存在ですから、尊敬以外の会話はありえず、それ以外は全て不敬となります。理屈は全く入る余地が無く、神そのものです。
しかし、この根底にあるのは、天皇に対する絶対的尊敬の念ではなく、トラの威を借るところにあるように思います。少しでも天皇批判に結びつきそうなことがあれば、目を三角にして、襲い掛かりますが、その根底にあるのは、皇室に対する敬意と言うより、権威に同化し、コレ幸いに他人をやっつけているに過ぎません。
右翼に好かれても、当の天皇陛下は迷惑なだけなんじゃないんでしょうか。子供の頃から不思議だったのですが、日本では何か事件が起こると、何でもかんでも長の責任になります。運転手がミスを怒られるのが怖くてスピードを出しすぎて大列車事故を起こしても、当の運転手よりも、実際どうにも出来得ない社長の責任を追及します。
社長が就任する以前のことでも、結果が今なら今の社長の責任を追及します。これは実際の責任の所在など実は、どうでも良くて誰かを血祭りに上げれば満足だからです。或いは長がタダのお飾りでも、責任を追及します。
ところが、大日本帝国憲法の下では陸海全ての軍の最高責任者であった天皇の戦争責任は追及されません。実際問題、天皇に責任があったとは思いにくいのですが、しかし何故ここだけ急に現実的で物分りがよくなるのでしょうか。
あなたがもし業務上不祥事を起こしたならば、上司はおろか、あなたのことをどこのどなたかも知らない社長の責任になるでしょう?なのに何故、天皇の戦争責任となるとこうなんでしょう。よく言われるのが、天皇に戦争責任を負わせてしまうと日本人に求心力が無くなってしまうというもの。
しかし、私の見る限り、実生活において日本人がそれほど皇室に敬意を払っているようには見えません。右翼がどこにいるか分からないので、不特定多数の前では皆さん敬意を払ったかのような発言をしますが、一度仲間内の会話になると必ずしもそうではないようです。
そして、極稀に天皇陛下にたいして敬意が足りないと怒り出す人がいますが、尊敬する人への気持ちの表れと言うよりも、先に述べたようにトラの威を借りるがごとく、権威の威光をかさにうっぷん晴らしをしているに過ぎません。もしマッカーサーの占領政策が継続していたなら、占領軍の威光をかさにきて傍若無人に振舞うのではないでしょうか。そう思えてならないのです
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日本人は情緒的な民族だ。良し悪しは別にして日本人自身がそういっているのだからその通りなんだが、物事、特に制度とか政策と言った万民に共通する事項に関してはNGだろう。 大岡裁きも特殊解だから許されるのであって、日常的に裁量判断がまかり通る社会や組織は無法地帯と変わらない。だから代議士個人の領域はともかく、少なくとも天下国家を論ずべき国政の場では、クールに論理的でなければならないはずだ。 ところが、コレが分かっている政治家が非常に少ない。日常の個人生活が情緒的だから、国民総体も情緒的なんだろうと、そう考え、そこに訴えかければ国民に受けると思っている。しかし、コレでは国民のレベルを低く見積もった上での大衆迎合だ。選挙対策の方法論としては、随分と国民をバカにした話だろう。 亀井氏は「刺客を送り込むとはムゴイ」と小泉批判をしたが、この選挙の論点は郵政民営化を直接国民に問う事(解散権を行使した本人がそう言っている)なんだから、反対派の選挙区に賛成派を擁立しなければ選挙民に対して筋が通らない。それをムゴイとか何とか個人や党内レベルのことでしか考えないとは、自らの発言の論理に国政に参加する資格が無いことを証明している。 また、「参議院で否決され、国民の審判が下ったのに解散とは酷い」と言っているが、この理屈で直接国民の審判を問う選挙を批判するのは論理矛盾も良いところ。 野党党首も似たようなものだった。田原総一郎の小泉人気が50%を超えたがどう思うかとの問いに、岡田党首は盛んに「国民は騙されない、国民の判断力を信じている」と言っていた。その論理が正しいなら、既に民主は負けていると言っていることになるが、本人はこの論理矛盾に一向に気付いていない様子で、別のチャンネルでも「国民は正しい判断をする」と言っていたのが何とも滑稽だ。 コレでは、野党も反対勢力も小泉応援団に過ぎず、ピエロを演じているだけだ。私は小泉内閣を支持するが、もし野党や反対勢力がこんな調子で小泉圧勝になってしまったら、かえって怖い気がして来た。 亀井さん、岡田さん、頼むよ。もちっとシッカリしてくれよー。アンタ達が言うように国民はそんなにバカじゃないんだからさ。 情緒的論述は非論理的だから、発言内容そのものに構造的欠陥があり、全体観が欠落していると、自己の発言自体が墓穴を掘ることになる。先ほどの、テレ朝サンプロでの野党党首達や亀井静香氏の発言は正にこの典型だった。
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